カナダでATになろう

このブログはカナダでCertified Athletic Therapist として働く者による留学情報を綴ったものです。

カナダにおけるPTとATの違いとプライドの話

どうも前田です。

つい最近タイトルの内容のことでとある方に話を聞きましたので、これをもしATになりたいと思う人がいれば参考にと思い載せます。

 語り部はうちのプログラムディレクター、Glen Bergeron 氏です(笑)。なのであくまで彼の個人的意見ではありますが、カナダで有名なATの一人の意見なので参考程度にはなると思います。

 

 

Physiotherapy in Canada

学ぶ内容

  1. Musculoskeletal 
  2. Cardiovascular 
  3. Neurological

どうやら今もこの3つが基本らしいです。また、遠い過去の話では以上に加えて Respiratory Therapy や Occupational Therapy 系も扱っていたようですね。今ではそれぞれ独立した専門職となっていますが。

つまりは扱う領域幅広いよねということです。あくまで筋骨格系は3つの中の1つに過ぎないんですね。

 カナダでのPTの歴史

元々PTは病院にのみ所属してる形だったそうです。これは未だに王道はそうらしいですね。日本もPTは基本病院勤務なイメージがありますね。

また遠い昔のマニトバでの話では、昔のPTは今以上に職業の領域が広い上にかなり忙しかったようです。皆大病院の中で医者の診断後に長蛇の列を作り待ち続けて Physiotherapy を受けていたらしいです。その状況を見て、とある有名なPTがその大病院のすぐ隣にクリニックを開設して長蛇の列で待っている患者さんを顧客にしたそうです。そこからマニトバでのPTクリニック開設の歴史は始まったようです。1970年前後の話らしいですよ(笑)

ここで Glen が言ってたのは、「基本的にPTクリニックは筋骨格系しかみない。他の2つの領域は未だに病院所属のPTがメインで行っている」とのことで、このクリニック系PTが筋骨格系にフォーカスすることにちょっとしたモヤモヤを表現してました。

でも、歴史的に見てATが後発だからそこは難しいとも。

 リハビリのゴール

 これもPTは Activity of Daily Living 日常生活を無理なく機能的に行うことを目標としていますが、ATのゴールはいわゆるアスリハの「競技復帰」なのでだいぶ先の高いところにあります。

Athletic Therapy (NOT Athletic Training)

yourfinishlineathletictherapy.ca

成り立ち

 アメリカのATCと似てますが、元々はアメリカのATC保持者のカナダ人がカナダで興したもので、対象はカナダらしくアイスホッケーとアメフトでした。プロチームのATが主導だったようですね。

ここで日本の小話

日本の恩師が語ってくれた「なぜ日本のATが普及しなかったのか?」の理由の一つがアメリカ帰りのATCやAT系の人材がプロスポーツやエリートスポーツ関係に職を求めたからだそうです。対するアメリカは元々カレッジスポーツで働くメディカル系の人たちが集ってNATAを興したそうです。カレッジスポーツでATに接するアスリートの数はプロアスリートの数より断然多く、そして多くのカレッジアスリートは高校や育成年代の指導者になります。ATという職業に馴染みのある人材がカレッジスポーツによって増えていったのが、アメリカでATの認知度がある程度高い理由だそうです。これがプロアスリートメインだと限られた人(競技レベル的に)だけのサービスに思われてしまいますねー。

カナダも日本と同じまずはプロスポーツに人材が行ったところは日本と似てますし、国内での認知度があまり高くないのも似てますね。(フィジオと比べて)

今CATがプロモーションしているのも、Athletic Therapy for everyone っていう感じのメッセージなので。アスリートだけじゃないよと。

ではAthletic Therapy とは何でしょう?

Musculoskeletal に特化したなんでも屋。筋骨格系のみに全てを注ぐ専門職だそうです。だから、筋骨格系では他の専門職に負けてはならないと Glen は自分たち生徒にそう語りました。

これがATとしてのプライドですね。

そしてフィールド系。これはATの専売特許だと。スポーツPTというものは Extra course を受けたらそういう資格が取れるらしいですが、Glen曰く比較はできないと。スポーツ現場のスペシャリストはATだと。

あくまでカナダでの話+個人の見解なので悪しからず、、、。

 ATクリニックの存在と闘い

元々ATクリニックはプロチームやカレッジのアスリートのみのものでした。なので、一般の方がアクセスすることはなく、今とはかなり違う感じだったそうです。ですが、彼が言うATが一般化へと踏み切った理由は「需要があったから」だそうです。自分が日本にいた時によく使っていた言葉 アスリハ (Athletic Rehabilitation) が関係しています。昔からATはアスリートをなんとかできるだけ早く安全に競技復帰に持っていくことにフォーカスしており、それは一般の方に応用することも十分可能だったと。昔は何か大きい怪我が起きたらすぐ石膏などで固定して長期間動かさないようにするのが一般的だったようで、ATはそれとは違い早期のROM回復等を行い、アスリートに対して結果を出してたようです。それを一般の方が興味を持ち、訪ねてきて実際に Athletic Therapy を受けて満足して、、、今があるって感じだそうです。NBA選手の足首捻挫と趣味のバスケでやった捻挫は取り巻く環境以外は全く同じですからね。

面白いことにこの Athletic TherapyをU of W Clinic で一般の方向けに始めた時は無料だったそうです。最初はウィニペグ大のアスリートをメインで診る片手間に一般の方を診てたためだそうです。

CATのユニークな特徴、クリニック開業権ですが、Glen 曰くそこに至るまではPTとの闘いがあったそうです。PTからしてみれば自分たちの領域の一つに進出してきて、その上クリニックまで開かれたらたまったもんじゃないですからね。

MATAと啓蒙活動

MATAとは Manitoba Athletic Therapist Association の略です。州ごとにそれぞれ支部があり、もし州をまたいで引っ越しして職場を変える場合は登録変更が必要です。

当時MATAは資格取り立ての Glen 含めて5名ほどだったそうです。そこから様々なスポーツイベントをカバーしたり、プロモーションをしたりして認知度獲得を行ってきたようです。まさに草の根活動ですね。その中で PT と色々あったらしいですが、MATAおよびCATAは最後までPTたちの圧力に屈せず、ずっとしつこく生き残り続けて今の認知度+国家資格への承認に至ったそうです。その過程を見てきた、指揮してきた張本人からそういう話を聞けて楽しいです。生き残りをかけて闘った時期を経験しているからこそ彼の Athletic Therapy という専門職への情熱は凄まじいのでしょう。

今の自分の世代は過去の先人達の築き上げた恩恵にどっぷり浸かってますが、そこははっきりと感謝しなくてはいけないと思います。そして今以上にもっとAthletic Therapy をみんなに知ってもらって、患者さんやCAT (C) がハッピーになれたらなと思います。

Glen と ウィニペグ大学 

長いこと彼はUWのATプログラムのディレクターですが、そもそも彼がこの大学で働くきっかけは4ヶ月のみの契約での学内クリニックでの仕事でした。そこのHead AT が修士取るためにアルバータ州に引っ越ししたためポジションが空いたそうです。そこからもう30年以上はゆうに超えて今はもはやウィニペグ大学にATプログラムを創設して20年くらいですかね。途中マニトバ大学で教えていたりもしましたが。

Glen でも最初はそういうポジションからのスタートなのねとちょっと心強くなりました。こういうちょっとした所から始めるのがATの就活なのでしょう。

職域は常に放棄したら取られる。

これは結構面白い話でした。その職業で行う領域は自分で狭めない方がいいという彼のメッセージには実例が多くありまして。以下はその一覧です。

カナダではInjury Prevention はS&Cに取られた

アメリカのATといったら今はこれを特に強調している感じがしますが、カナダのATでは結構受け身な感じで Injury Prevention は正直あんまりですね。怪我した後のアプローチがメインです。ほぼそれです。そんなCATがあまり Injury Prevention への取り組みを進めない間に、ストレングスコーチがそこに進出して、今やそこはS&Cコーチの職域となってしまったようです。職域が曖昧なうちにガツンと推進しておかないと他が取りますからね。

PTがsofttissue を軽視し始めたら、マッサージセラピストがそこをメインにし始めた

マッサージセラピストもまた Soft tissue へのマニュアルセラピーを上手く自分の専門としたようです。誰かがやらないなら俺がやるよと。

今はカイロもmodalities を使う時代。

カイロといえば、手技によるマニピュレーション(骨を矯正?)というイメージがありますが、Glen によると手技での Spine へのアプローチは徐々に慎重になってきており、特に C-spine になると色々と時代的にリスクが高いのでそこへの骨アライメント施術を取りやめるカイロが多くなっているそうです。代わりに、あのカイロまでが Modalities を使い始めたようです。

職域というのは時代とともに変わり続けるものでしょう。

自分としては、CATCSCSともう少し Soft Tissue のアプローチを専門にできる人間になりたいと思ったりしてます。

プライド

WFATTの会長である Glen からこのような話が聞けて最高でした。彼のATという職業への情熱とプライドが伝わってきました。最終学年になるとこういう話が大事になるのかもしれないなと思ったりしてます。あと1年で学校を卒業して、資格を取れば有資格者として外の世界に放り出される身としては心構えについての話等は色々と参考になります。今までは次のクラスに進むための成績を取ることで必死だったので。

去年サバティカルでいなかった Glen とこういう話をしたかったんですよね。自分は。プロフェッショナルとしての姿、考え方を吸収したいなと。

 P3がなんと、、、。

実はP3のクリニックのスーパーバイザーは Glen なんです。だからこういう話を空いた時間にしてもらえてそれはもう痺れました。アスレティックセラピーの歴史を作ってきた人に厳しくも温かく接してもらえてありがたいです。

ちなみに Glen は生徒に対して非常に高いレベルを期待しているといつも話題で、それで時々生徒を泣かすこともあると噂があって少しビビってましたが、やってみればなんと!順大の恩師と同じタイプでした(笑)。耐性ができてる。

ただ、真剣な時は怖いですよ。でも毎回のクリニックではいつも新しいことを学べて楽しいです。ほとんどが自分の至らなさを指摘してもらって落ち込むことの連続ですが、その中で出来たことを少しずつ増やしていけたらと思います。

詳しくはまたP3の説明時に述べますが、やっぱり凄いです。彼は。纏う緊張感のようなものも自分は好きですね。

順大時代もそうですが、こういう恩師の下で勉強して、卒業後もお世話になることがあるかもしれない以上、絶対に良いアスレティックセラピストにならなくてはと強く思います。

 以上が今回のお話です。

次回はダラダラ話でもしようかなと。

ではでは。