カナダでATになろう

このブログはカナダでCertified Athletic Therapist として働く者による留学情報を綴ったものです。

2021年を振り返ると濃かったかも。

どうも前田です。

もう年末ですよ。早いですね。こうやってまたカナダに残ってこの投稿をすることになるとは思いもしませんでした。去年の今頃はCATの国家試験に向けての受験勉強してて、日本での受験生ライフの再来とストレスで気が滅入ってましたが、その時の励みになったフレーズは「来年末は日本で過ごす!」でしたが。。。ダメでしたね。

初めに2021年は濃かったです。2年連続で転職でカナダ横断したり、プライベートもアップダウンがあったりとまあ色々ありました。

では、ちょっとづつ振り返ります。

 

1−3月:ホッケーチームでの醜い対立と悪い人間に振り回される日々

これが大きかった。前の職場のGMとオーナの私利私欲に振り回される日々でチームスタッフみんながハッピーじゃない状況でした。SNSで外面だけよく見せる人間の浅はかさに心底嫌になりましたね。

1月末:NCE(国家資格試験)受験

受けましたね。この時にオンタリオ州にいなかったのは本当にラッキーでした。バンクーバーで無事受験し、手応えが微妙すぎて、帰りに寄ったラーメン屋でかなり考え込んじゃいましたね。。。(笑)

3月初め:NCE合格。Certified Athletic Therapist - CAT(C) となる

おそらく今年一番に起こった最高の出来事。自分の留学生活がようやく形として実を結んだ瞬間でした。嬉しかったですね。ちょうど、友達とご飯に行く前に合格通知のメールが来たので、あまりにも興奮しすぎて友達にどうした?と言われる始末。。。

良い思い出。

4月:BCHLの短縮シーズン開幕そしてコロナ感染

3月の醜いチームの人間関係の結果、自分を雇ってくれたコーチ達がシーズン開幕直前に去り、自分もこのチームでの来年の身分は安泰ではないだろうなと思ってました。実際ね?。。。

それでも最後までシーズンを終えるためにAT兼用具係として働いていたら、まさかのコロナ感染。感染経路不明。そしてチームでは俺だけ。シーズン始まって以降の生活はほとんどが普通の方々のタイムスケジュールとずれているので、あんまり接触とかはないんですけどね。。。

この時のコロナ感染時に給料がかなり引かれているのには、当時はしょうがないと思ってましたが、おかしいね。なぜなら俺 Employee だもの。まあ終わったことだし。

コロナに感染した人間として言えること

数ヶ月味覚失うかもしれないからかからないほうがいいよ〜。軽症で済んだとしても、周りへの悪影響(濃厚接触による隔離で仕事できない)とかのこと考えるとかなり落ち込むよ。

5月:シーズン終了そして解雇。その後転職オファー獲得。

シーズン終わって1週間後にメールで解雇通告。あまりにもリスペクトに欠けたGMの言動にかなり怒りの感情を隠すことができませんでしたね。”自分の彼女”をチームに連れて来るためには俺が邪魔か。今でも少し腹立ちますね。実際法的措置も進めてましたが、解雇の一週間後に今の職場の最終面接があり、無事オファーをもらったので「ゴミ人間共に構っている時間が無駄」ということで、即引っ越しの準備に取り掛かりましたね。

まあぶっちゃけ、「まじでオタワかぁ〜...」とは思ってましたね。だってバンクーバーエリアにいた方が日本人としては住みやすいもん。実際仕事以外では生活は気に入ってました。プライベートとかもパンデミック終わったらもっと楽しめるよねとか思ってましたし。まあこれも運命だと割り切りですね。

6月〜9月:現実に打ちのめされてつらたん

希望を持って迎えたクリニックでのAT業ですが、ATはまじで患者さん来ない。みんなAT知らない。あーやってらんねー。って感じでした。加えてこの時期はプライベートでも本当に辛い時期でした。借りてた部屋が本当に気に入らないとかもあったなあ。

この時期の自分はあまり記憶が無いくらい辛いことの連続で、忘れていたほうが幸せかも。

10月〜12月:小さな村で副業AT開始

以前の投稿でお話したように、10月からパートタイムで週末にオタワから離れたPetawawa にあるATクリニックに勤務開始しました。正直これがメンタル的には助かりました。地元の政府系大企業の福利厚生の Health Insurance に Athletic Therapy が含まれていることで、患者がクリニックにAthletic Therapy を求めて来てくれる。それも結構な数がです。2週末に一回はほぼ予約でいっぱいになるくらいになりました。

このことがどれだけ自分を救ってくれたかはもーーーーーーーーう感謝しきれない。あのままメインのクリニックだけでやっていたら、自分を信じられなくなってましたからね。少なくとも自分の治療スタイルや方法は間違ってなかったんだなと思うことができるようになりました。

自分を信じる

これは自分が働く2つのクリニックのオーナー二人が僕に口酸っぱく言っていたのですが、「一回目の治療で上手くいかないなんて珍しいことではない。そこで自信を失うな」と。

あまりにもネガティブな経験が多いもんで(前回の投稿参照)

 

jin-athletic-thrapist-at-wpg-ca.hatenablog.jp

自信がなくなりやすいんです。この自信ってやつは成功体験が必要だと思うのですが、いかんせん来てくれる患者さんの数が少ない上に、AT特有の保険の問題で、2回目以降も定期的に来てくれる人が全員ではないため、成功体験の積み重ねが多くはない。

今は副業のクリニックのおかげで、自分のサービスが必要とされていると思えるから、モチベが高く保たれているんです。それでもっと勉強とスキル磨きしようと思える訳で。でも本当にこの副業のおかげで、「俺は悪いセラピストではないんだ!」と思えるようになって、自分でも少し変わることができたなと思います。

総括

一年を通してアップダウンがかなり激しかったですね。間違いなく良いこともあった。けどそれを上回る苦悩がありましたね。それをせめて日本帰省で水に流したかった。。。段々状況が良くなってきたので、そこはいい感じに新年を迎えられる希望はありますね。

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Hehehe

2022年の抱負についてはまた書きますね。

ではでは。